在宅主義的マルチオタク概論

好きなものはひとつにしぼれない

夏目漱石『こころ』を味わうときに聴くべき一曲 Base Ball Bear『short hair』

皆さん。こんにちは。
こんろんかです。

夏ですね。
夏になると聞きたくなるバンドのひとつ、Base Ball Bear
その中でも、私の好きな一曲は『short hair』です。
夏に聴きたくなるといいつつ、この曲は年中聴いてしまいます。

ところで、皆さんは、夏目漱石の『こころ』を読んでみたことがありますか。
全文は読んでいなくても、国語の授業でふれたなど、だいたいのあらすじは知っているという方も多いと思います。

実は、Base Ball Bearの『short hair』のMVに登場するキーアイテムが『こころ』なんです。
MVの登場人物は、少女(本田翼さん)とBase Ball Bearのメンバーのみ。
そして、少女(本田翼さん)とボーカルの小出さんが共通して読んでいる文庫本が、夏目漱石の『こころ』。
ふたりが対面しているシーンはありませんが、『こころ』を読むことで、小出さんが少女を追想するような演出がなされています。

ではなぜ、『こころ』なのでしょうか。
これに対して、作詞作曲を担当したボーカルの小出さんは、「出だしの歌詞になぞらえてです。」とSNS上で回答しています。

本当にそれだけなの?

この曲、歌詞が『こころ』とリンクしている部分が多くて、単に、歌詞の冒頭に登場するから、という理由だけではないと思うんですよ。

そこで、今回は、Base Ball Bearの『short hair』にひも解いて、夏目漱石の『こころ』を考察していきたいと思います。


Base Ball Bear『short hair』

ギターロックバンドBase Ball Bear 13枚目のシングル。
Base Ball Bear史上初のリアルなラブソングと名を打っています。

アルバム『新呼吸』にも収録されており、この曲について小出さんは、

「具体的かつ、抽象的な歌詞を目指しました。相手との関係性はある程度は分かるものの、決定的ではないです。高校生の恋のようでものあり、不倫や浮気のようでもあり、今は亡き人を思うようでもあり。」

と語っています。

そう。単なるラブソングではないんですよね。

また、この曲は、インディーズ時代に親交が深かった「12月8日」というバンドの曲『グッド・バイ』のリズムやコード進行を参考に、「12月8日」が演奏している様を思いうかべながら制作されたそう。


夏目漱石『こころ』の登場人物とあらすじ

登場人物とあらすじ

『こころ』の主な登場人物は、大学生の主人公、主人公が“先生”と慕う男、先生の妻(お嬢さん)、先生の義母(妻の母親)、先生の友人(K)。

あらすじは一言でいうと、親友(K)の自死に罪悪感を感じる男(先生)の話です。
名言はされていませんが、おそらく、この罪悪感とは、“生存者罪悪感”というものだと思います。

生存者罪悪感とは

生存者罪悪感(サバイバーズ・ギルト)とは、戦争や災害、事故、事件、虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のことです。

私がこの言葉を初めて知ったのは、ドラマ『アンナチュラル』の第7話。
内容は、学校でいじめにあう同級生の計画的自殺に加担してしまった男子高校生の話でした。
この男の子の状態を、生存者罪悪感だと法医解剖医の主人公は考えています。

『こころ』にも似たものを感じます。

自分のエゴに巻き込み、裏切ってしまったことで、親友は自殺したのだと苦悩する先生。
親友は遺書を残しこの世を去っていきましたが、その遺書には、自分に対する恨み言一つ書いていませんでした。
そのことに一度は安堵したものの、かえって罪悪感に苛まれ続けることになりました。
結婚という幸せを掴んでも、罪悪感は拭えず、妻をうまく愛せずにいます。それは、妻への恋心こそが裏切りの発端であったからです。結局、妻にも打ち明けることができず、自らも自殺を選んでしまいます。

先生も主人公に対して言っていますよね。

「しかし君、恋は罪悪ですよ。解かっていますか」

この「罪悪」とはまさしく、生存者罪悪感なのではないでしょうか。


『short hair』の歌詞と『こころ』

 

 まずは、この歌詞に注目していきます

理由の理由 さがせばいくらでもあるよ

でも言えなくて ファインダー越しに笑いかけたんだ

先生が、奥さんに「なぜ話してくれなのか」と責められる場面が思い浮かびます。

先生は、Kの自殺に対して罪悪感を持っており、奥さんのことをうまく愛せません。好きでないのならそう言ってほしいと、奥さんは泣いて懇願しますが、その理由を言ってしまうと奥さんが傷つくことがわかっているので、先生は何も打ち明けることができない。

という場面を表しているように思います。

 

この曲が、『こころ』に深く関連している、ひいては生存者罪悪感を表していると考えられるのは、特にサビの部分です。

僕はいま僕のことだけ、僕がいま僕のことだけ
考えられればきっと傷つかないのに
なぜだろう 君のことだけ 浮かぶのは君のことだけ

この“きみ”がKのことを指していると仮定すると、先生の思いが理解できます。
最愛の人との幸せな結婚生活。
ただそれだけを考えられたら、こんなにも辛い思いをしなくてすむのに、妻の顔を見るたびに、Kのことが頭をよぎってしまう。
自分のエゴに巻き込まなければ、親友が死ぬことはなかったのかもしれないのに、自分だけが幸せになっていいはずがない。
そういった自責の念に駆られていることがわかります。

 

間奏後の歌詞にはこうあります。

たくさん失う 時がながれゆく
それでも僕は、きみを待ってる

最初この“きみ”は奥さんのことを指していると思っていました。
作品の最後でも、先生は主人公にあてた手紙に、事の顛末は胸に秘め、妻には伝えないようにと書き残し、この世を去ります。

きっと、妻が真実を知れば、悲しんでしまう。
うまく愛することはできなかったけれど、あなたへの愛は確かなものだったから、
何も知らないまま、今後の人生を幸せに歩んでほしい。
天国で、いつかまた会える日を待っている。

ということなのかなと考えていました。


しかし、この“きみ”もKのことだと仮定すると、

僕はきみ(K)を裏切って、お嬢さん(妻)を手に入れたけれど、結局心の底から幸せにはなれなかった。
きみとの友情も、妻との幸せな結婚生活も、人生への希望もすべて失ってしまった。
それでも、僕(先生)は、きみ(K)が(いつの日か僕を許してくれる時を)待っている。

と捉えることができるのではと思いました。

 

そして、表題となる「short hair」はラストに登場します。

きみの短い髪に触れて気づいた
気持ちがすべてだったあの日のこと

作中で、机に突っ伏したKを先生が見つける場面。
先生はKの頭も持ち上げようとして、Kが亡くなっていることを悟ります。

卑怯な手を使ったために、取り返しのつかない事態になってしまったことを後悔し、裏切ってしまったのは、お嬢さん(妻)を恋慕う気持ち、その一心だったのだとKに弁明している様を想起させます。


『short hair』と生存者罪悪感

シングル『short hair』が発売されたのは、2011年8月31日、MVがYouTube上で公開されたのは、前日の8月30日です。

2011年といえば、東日本大震災が起きた年。そして、8月はお盆。
もしかすると、被災された方や、大切な人を亡くした方の気持ち(生存者罪悪感)を歌った曲なのかもしれません。
そうすると、『short hair』が単なるラブソングではないということがわかります。

まとめ

Base Ball Bear『short hair』のキーアイテムである夏目漱石の『こころ』。
爽やかなラブソングに隠された意図は、罪悪感なのではないかと考えます。
この曲は、恋人に限らず、だれか大切な人を思う気持ちを表した一曲なのです。